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─ 第7回 不忍池弁天堂から旧岩崎邸入口─ |
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OFFICE CUBE代表 水野詩都子 |
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今回の趣向は、上野駅公園口を出て文化会館左から清水観音堂に参り、不忍池を通って旧岩崎邸に向かうというもので、実はこの「散歩」シリーズ第5回で1月に出発したのですが、弁天堂訪問は第6回4月下旬になってしまい、今回第7回の記述の不忍池を出るところまでは、この4月下旬の写真を使用しています。なお、旧岩崎邸訪問は6月下旬でした。 さて前回までは不忍池の中央、弁天堂前の、稽古ごとを中心とする様々な石碑に寄り道してしまいましたが、今回ようやく弁天堂にお参りして、旧岩崎邸へと向います。 |
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| ■弁天堂に参詣 |
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前回も紹介した弁天堂の由来をもう一度おさらいしておきます。
現在の建物は昭和33年の再建ということで比較的新しいのですが、昇殿口左手には弁天様の定番・琵琶の巨大な青銅製の碑がでんと控え、朱塗りの構えも情緒があり、内陣も音曲を司る女性の神様らしく、小振りながら木目細やかな華やかさです。
ところで、この上野の造営に深く貢献した天海僧正、死後の家康を神、「東照大権現」として祀り、日光東照宮や上野の寛永寺・東照宮も造営するなど、当時多大な影響力があった様ですが、なぜか彼の「毛髪塚」が上野の森美術館付近にあるとか。そのへんの「怪」もいつか触れてみたいと思います。 |
| ■弁天堂裏から、ボート池を抜けて池之端へ |
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ところで、下の写真左は弁天堂正面参道から見た不忍池ですが、ボート池側の景観はうってかわって広々と開けた開放感があり、緑の対岸の上には名物のホテル・ソフィテル東京(中央写真の中央)ほか、池之端の建物群が拡がっています。現在大変遅く7月の執筆となって恐縮ですが、この写真の頃は4月下旬、新緑や遅咲きの桜の点々とする中で、スワン型やミニカー型のボートがのんびりと行き交っていました。
上の地図を見ていただくと分かるように、弁天堂を背にして不忍池を横断する遊歩道が左右に別れてのびていますが、今回は左手に進路をとり、対岸へと向かいます。 |
| ■池之端、無縁坂周辺 |
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森鴎外「雁」によれば、岩崎家の塀は物語の明治13年当時は壊れかけた石垣、雑誌「スバル」に連載の形で小説が書かれた明治44年頃は土塀であったようです。そして右手、坂の中途の今マンションになっているあたりに、お針子さんたちのにぎやかなの稽古場の隣に囲われ者の女の家がひっそりとたたずみ、主人公の学生「岡田」が散歩の道々、そこに住む寂し気な女性に淡く惹かれるわけですが、今はもちろん、こわれたどぶ板に囲まれたこまごまとした庶民の家並みなど当時の面影は全くなく、それでもそこはかと歴史を感じさせるしっとりした一角となっています。
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| ■旧岩崎邸入り口 |
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さて寄り道はこのくらいにして、坂をおりて旧岩崎邸に入っていくことにします。(敷地の入り口には鉄のフェンスと案内版がありますが省略します。)ここは言うまでもなく三菱財閥の祖、岩崎弥太郎氏の住宅として建てられたところで、設計は日本で黎明期の洋風建築を多く手掛けたジョサイア・コンドルに寄っています。
次回はいよいよ岩崎邸内に入っていきますが、あまり間をおかずにご紹介できるものと思いますのでチェックをよろしくお願いいたします。 (2004. 5) |