東京デザイン散歩タイトル

─ 第6回 五条天神社から弁天堂まで




OFFICE CUBE代表 水野詩都子

地図 ここは、東京の普段の街角の何気ない風景の中に、私達の日常の生活デザインの原形をたずねる、気ままな散歩コーナーです。

前回は、江戸時代から近代迄の歴史が重複する上野公園裏道散策として、カクレ神社仏閣フリークの筆者ならではの散歩道をたどり 、旧岩崎邸に向かうはずでしたが、旧岩崎邸の改修工事完了オープンが4月後半といいうことを不覚にもこの時知ったため、続きの掲載が大幅に遅れることになり、今回ここを訪れたのは葉桜の季節となってしまいました。

もう一度、一部前回のおさらいをしながら不忍池弁天堂へと向います。

●前回「上野公園裏道から不忍池入り口」はこちら

■五条天神社の奉納額

五条額 ここで前回訪れた五条天神社にちょっと寄り道。大正期になって、社殿の立て替えに協賛した人々の記念でしょうか、左のようなすばらしい連名額が奉納され、今は脇道にひっそり掛かっています。

全面チョコレート色の背景の中央に「奉献 五条天神社」と隷書の金文字で大書され、両脇にはおそらく近隣池之端を中心とした各種料理屋、待ち合い、芸者衆、商店など各協賛者のイキな商標を頭に、達者な白文字で名前がびっしりと連なっています。
周囲を勢いのある龍の彫刻で囲んでオシャレなライトが添えられ、実にモダンで力強く、製作した職人も含め奉納者達の熱い心意気が伝わってきます。

■春の清水観音堂

広重画清水観音堂は前回、冬バージョンを紹介しましたが、先日、江戸東京博物館の「大江戸展」で紹介された安藤広重「江戸名所百景」のなかに、ちょうど桜らんまんの清水観音堂舞台から不忍池を望んだ図があります。

武家から庶民にいたるまで行楽地として四季賑わった上野ですが、将軍家菩提寺の寛永寺や東照宮等もあって、門限や規則などあり羽目は外しにくかったようです。むしろ風流好みや子女の健全な遊びの場として、図左の輪を描く松などが名物となり、この清水の舞台や不忍池などが愛された様です。
当時不忍池は、江戸湾、隅田川と並ぶ江戸の代表的な水場として親しまれ、事実四季とりどりの趣向で美しい眺めが楽しめたようで、浮世絵や江戸名所図絵等にも、しばしば中央に近い位置にかなり広大なものとして描かれ、多くは定番的に富士山や筑波山がセットであしらわれていました。

当時は高い建物もなく空気は澄み切って、江戸の住人は毎日、富士や筑波を眺めて暮らし、また高低差の多い地形で至る所に風光明美な眺望が展開して、江戸後期に盛んになった庶民の行楽でも水場の趣向は重要ポイントだったことでしょう。

今回訪れた清水観音堂は、さわやかな葉桜バージョンに所々遅咲きの桜があしらわれ、カップルの散策にもぴったり。おみくじの木もびっしりと願掛けの花盛りでした。写真は一段下の小道から舞台を見上げたところです。

清水観音堂遠景清水観音堂おみくじところで上の図中でも池の中央に向かって中洲が延びていますが、この手前正面が清水観音堂、向こう正面が不忍池中央の弁天堂に当たり、つまり両堂は向かいあって建てられています。上の写真手前のカップルがいる当たりから下る階段が、そのまま中洲の弁天堂の参道そのものに入っていくことになります。


■弁天堂参道

左の気持ちのよい池入り口テラス部分の写真は、前回冬の散歩の最後に踏み込もうとした時のものですが、この奥の弁天堂参道に入ると、プンとおなじみのにおいの漂う露天が両側に軒を列ね、大名奉納の石灯籠の列に荷物が立て掛けてあったりします。
不忍池入り口 弁天堂遠景
ちなみに良く知られているように、この不忍池は2代将軍秀忠のときに、時の宗教界の権威・天海僧正が海であったこの地に琵琶湖に見立てた池を造営、中央に島を築いてこれも竹生島に見立て、同島より勧請した弁天堂を建立したものとか。はじめは船で渡っていましたが、やがて地続きとなし庶民の信仰や行楽の場とした様です。

そして弁天様と言えば歌舞音曲の神様。池之端の茶屋なども控え、稽古ごとを中心に熱心な信仰を集めていたようで、参道一帯には各種音曲の先達の賛美や上達祈願をはじめ、多様な趣向をこらした各種の碑がひしめき、デザインを競っています。

石碑列こちらは参道向かって左に並ぶ石碑の数々。左から、幕末の長唄中興の祖、「杵屋六三郎讃碑」、その右の大きなものは琴の大家「八橋検校顕彰碑」、2つ飛んでなぜか「スッポン感謝の塔」、その右の陰になっているのが楽器に使われた糸を供養する「いと塚」です。もう少し近付いて見てみると…。


青銅碑石碑1石碑2石碑3石碑4
左から●琵琶の碑…昇殿階段左手には弁天様の定番、巨大な青銅琵琶の存在感。かつては弦も張られていた形跡があり、裏はびっしりと協賛者の名簿が。●十二世杵屋六三郎の賛碑…歌舞伎の勧進帳などを作曲発表し長唄の隆盛を導いたことが讃えられ、品格ある自然体の碑は、低い垣を巡らし手入れも十分です。●同碑左横の六三郎歌碑…芸人としての世界感が偲ばれます。(後述) ●八橋検校顕彰碑…ひときわ大きい鏡面仕上げの屏風形の碑の前に琴の彫刻が。低い垣にも琴じのデザインが添えられ、裏はびっしりと同門者名簿。●いと塚…もちろん楽器の糸の供養碑です。
石碑5石碑6石碑7石碑8
音曲以外は左から●ふぐ供養碑…踊る波に乗るふぐの姿が凝っていてユーモラス。囲む垣根も豪華です。●スッポン感謝の塔…こちらは対照的に、中央のスッポンのレリーフと文字もあっさりとごく自然体。 ●魚塚…昭和の魚屋サンたちが感謝を込めて建立。文字がすばらしい! ●めがねの碑…なぜかここに眼鏡が出現。いきさつは不明ですがひときわ大きい石造りは建築的で豪華です。


ご覧のように碑は完全に不忍の風景に溶け込んで欠かせない存在となり、歴史を背負った不忍池と弁天様をより身近に感じさせています。
ところで 杵屋六三郎の碑の左横には、上段左から3番目の写真のように優しい自然石で六三郎の歌碑が設けられ、芸人として世渡りの達人でもあったことを偲ばせてくれます。

  たるまねば どなたもよしや 綱よりも 細き三筋の 糸の世渡り

このあと、いよいよ弁天堂にお参りです。

(2004. 5)

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