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OFFICE CUBE 代表水野詩都子
■はじめに
皆様、OFFICE CUBE のサイトを訪れて頂き、ありがとうございます。サイト管理者の水野です。
このコーナーは、私が仕事の合間を見つけては楽しんでいる、私なりの東京デザイン散歩を紹介して行きたいと思います。
ここであらかじめお断りしておきますが、デザイン散歩と言っても、毎回最新のデザインの動向を探ったり、話題のデザインスポットばかりを訪れたりするわけではありません。その様な機会も時折織りまぜながら、基本的には私達の日常生活を彩る生活文化やモノたちのデザインの原形を、街角の何気ない風景の中に感じ取りながら、東京という街の普段の姿を様々な側面から楽しんで歩こうという試みです。
私は、東京都港区の営団地下鉄銀座線、虎の門駅のすぐそばに生まれて育ったのですが、ご存知のようにこの地は今では官庁とオフィスビルばかりになってしまい、私の子供の頃のような、表通りは新興オフィスビルでも、一歩裏道では小商売の家が軒を接し、子供達が夕暮れまで遊び回っているといった風景は、遠い過去のものとなりました。
大袈裟に言えば、私の故郷あるいは帰るところは、すでに永遠に失われてしまったわけで、むしろこういった私にとっての原風景は、今の日本橋あたりより西の下町の方で、懐かしく見出されることが多くあります。
にもかかわらず、未だに虎の門には心の風景の断片が散らばっていて、気が付くとそれらのイメージはある意味で、現代の私達日本人全体が失いかけている共通の心の原風景、原イメージとも重なるようなのです。
そんなわけで、もちろん第1回は虎の門です。というより、最初の数回は虎の門をとりあげ、その意外と味わい深い側面をまとめて紹介したいと思います。
■虎の門 第1回─霞ヶ関ビル
紙面もわずかなので、今回は霞ヶ関ビルのみ取り上げます。
新橋方向から来た場合、真正面の虎の門交差点に、おなじみのランドマークとして望めるこのビルは、昭和43年(1968)に超高層ビルの曙を告げるものとしてデビューしました。当時36階は驚異的な高さ=巨大さで、今良く東京ドーム何個分の広さなどというように、当時は霞ヶ関ビル何杯分のダムの水量、などと例えられたものです。折しもバブル経済に突入しようとする頃の、経済力の象徴であったわけです。
上の写真は11月の土曜日に撮影しましたが、20年位前から週休5日が行き渡りご覧のように閑散とし、この日は水道工事中でした。このようにいつも近景か遠景が工事中で巨大クレーンが見えているのも、虎の門らしい風景です。
しかし、この当時の車にも言えることですが、大量生産・大量消費時代にあって、人々は横並び意識が強く、高度のインテリジェントビルでありながら、デザインは特徴を排した無個性なものでした。地元住民でも、あまり愛着を持った人は少なかったのではないでしょうか?
強いていえば、バブル経済とともに、官僚と密接につながりながら建て増しを重ねてきた虎の門の街全体が、そのような無個性の増殖を繰り返してきました。そして戦前や敗戦直後から不思議と残ってむしろ存在感を増してきた古い建物群と共存し、逆に他に例のない街の個性を作り出しているともいえます。
そのひとつの良い例が、この霞ヶ関ビルと好対照をなしてすぐその右手、虎の門交差点に面して座を占め、古色蒼然と権威を臭わせる文部省でしょう。さらにその右奥隣には大蔵省の存在があります。
やや霞ヶ関に踏み込むことになりますが、次回はこのへんから探ってみたいと思います。
(2001.9)
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